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中学教師の夫が、よりによって教育委員会の女とW不倫!!ありえない…こんなの許せますか?怒りのサレ妻ブログ

【第38話】我が家のその後

さてそろそろ、その後の

私たち夫婦の話に戻りましょう。

ダンナを追い出した後、

私はこれからのことを

考えなければいけませんでした。

 

今、住んでいる家は、

夫婦ふたりの名義で

10年前に土地と建物(新築の注文住宅)で

購入したものでした。

 

私の父から700万の援助がありましたが、

それでもまだローンは2000万以上

残っていました。

 

こんな状況でよくも不倫なんてできたものだなと、

改めて、あきれました。

 

お恥ずかしい話ですが、我が家には

貯金もほとんどありませんでした。

 

私たち夫婦は、大学の同級生でした。

 

私たちの年は就職氷河期世代なので、

大学卒業時、教員の採用は大変厳しく、

ダンナが正式な教員として採用されたのは、

二人目の子どもが生まれた後でした。

やっと採用されたその試験では、

事前に試験に有利になる資格も取らせ

(手続きやレポートなどは、

育休中の私が全部引き受けました)、

私のアドバイスで履歴書の写真を撮り直したり、

面接ではイクメンをアピールして

合格を勝ち取りました。

グループディスカッションでは、

以前私と話した“他国の教育事情”の話を出して

うまくいったよ、と喜んでもいました。

 

私はダンナが立派な教師として成功するために、

できる限りのサポートをしてきたのです。

それなのに…。

 

子どもが生まれてからも、

平日も朝練だ生徒指導だテストだと忙しく、

保育園の送り迎えもしない、

土日も練習試合だ大会だと言って

ほとんど不在。

そんなダンナのためにすべてを引き受け、

私は自分の職場を退職し、

非常勤講師として働いてきました。

 

非常勤は、時給は良いとはいえ、

収入は扶養の範囲内(年間130万)。

ボーナスは家のローンと車2台の維持費、

子ども二人の学資保険に消え、

ほとんど残りません。

家計はいつもギリギリでした。

 

正直、今から子ども二人を抱えて

フルで働く自信もなく、

私は途方に暮れました。

 

実家の父にはなんて言おう…。

きっと、烈火のごとく怒るだろう。

以前、正月にうちのダンナと酒を飲みながら、

「可愛い孫を悲しませるようなことをしたら

 許さないぞ」、と

真顔で言っていたのを思い出しました。

父はうちの子どもたちを、

目に入れても痛くないほど

可愛がっていたのです。

 

この不倫のことを話せば

父はクズ夫を刺し殺す

ぐらいのことをしてしまいかねない。

そうでなくても、

心臓発作を起こして倒れるかも…。

 

心臓に持病もあり、

手術をしたばかりの父のことを思うと、

すぐに相談することはできませんでした。

 

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